引っ越しとツイッター



引っ越して三週間が経った。住みたい街と家を自分の意思だけで決めたのも、引っ越す必要が何ひとつないのに引っ越したのも初めてのこと。そのため今回の引っ越しに明確な理由はなく、それゆえ大きな変化もない。たとえ玄関を開けた先や、目覚めた天井の色が変わろうと、事前に熱望や期待がなければ、人生において変化とは言えないのかもしれない。


ところでそんなことが言いたかったのではない。

この街はかなり街で、古本屋も喫茶も多い。以前から好きな場所だったし、なによりそれほど思い出がなかったのが決めてだ。僕は奇妙な徘徊癖とそれなりの交際歴により、だいたいの場所に思い出があったりする。しかし脳のストレージは少ない。つまり僕の思い出は特定のエリアに地雷として埋まっており、まんまと踏み抜けば、しばらく動けなくなる。この不都合も一応加味して、余白が多いこの街にした。


引っ越してからは、それなりに忙しい日々だった。仕事は休暇をもらったが、当然お金はない。けれど隣家に渡す菓子折りはケチらず、大丸でレモンのビスケットを買って渡した。品のある三十代くらいの女性で、静かに暮らそうと喉を締めた。

一番最初に遊びに来てくれたのは、学生時代の後輩だった。彼は近くの大学院で脳細胞の研究している。「今はマウスの脳をたくさん作っています」という笑顔の報告。彼の高身長と目の下の黒いクマが手伝って身震いするには十分だった。


そして三週間が経ち、あまたの発見をした。そんな中でも特に驚いたのは街路樹としてアジサイが咲いていることだった。最初に見た時は、いつかの六月にここで人が死んだの思った。ところがアジサイはしばらく等間隔に続き、中には真っ白で綿のような花もあった。自然に生えたのが広がったのか、それともアジサイを植えようと明確に決めた人間がいたのか。この場合、後者の仮説を信じたい。やはり僕は自然現象の美よりも、人間の利己に興味を燃やす傾向がある。

引っ越しの理由を思い出した。確か前の町で酒に酔って車に轢かれかけた時、ふと「どうせ死ぬなら好きな街で死にたい」と思ったからかもしれない。何も死にたいわけじゃないけれど、呪縛霊とかを信じているわけじゃないけれど。


また次に驚いたのはバスの難解さである。そこら中に路線が張り巡らされ、同じ方向であっても目的地が全く違うバスが走り回っている。その上バス停でバスを待っている時間が特に苦手な僕にとって、これはなかなかの試練である。バス停でバスを待っている時間ほど焦燥と不安に駆られ、目が泳ぐ瞬間はない。それにこの街のバス運転手は全員溶けている。暑さのせいか、車内アナウンスは声の原型をとどめておらず、唸りに近い溶けた発声がノイズに混じっているだけである。それでも洗練された乗客たちは、車窓からの一瞬の景色で現在地を把握して颯爽と降りていくのだ。


なにより、この街には人が多い。以前の町で一週間に見た人の量を一時間で超える。特に人の多い繁華街を眺めていると、自分が喧騒の一部に組み込められ、輪郭を失うような不安と刺激と疲労感。人の流れがそのまま自分の体内まで踏み込んでくる。しかし洗練された市民に踏み固められるのはそれほど不快ではない。


飯にも酒にも困らないほど店はあったし、純喫茶のレプリカもたくさんある。当然愛してやまないチェーン店は乱立しているし、あとはとにかく安価なリサイクルショップを見つけることができれば、この地に僕の短い足をつけられそうである。

そして街とは無関係に驚いたことは、自分の中からツイッターが消えていたこと。


てっきり、幸せになれたらツイッターをやめるのだと思っていた。けれどその考えはおそらくもう古くて、いつからかツイッターは実生活で消化できない不幸を吐露する場ではなく、実生活の幸福をお裾分けする場になっていた。人のライフスタイルや表現を鑑賞し、実生活に活かすためのアプリ。生々しいポエムと血液で溢れていたタイムラインに比べれば、驚くほど健康で実践的なアプリになっていると、ここ数年で勝手に感じていた。


ところがやはり僕にとってツイッターは、不幸の吐露から始まった。それがいつしか表現ぶるようになって、言葉で遊ぶようにもなった。詩人を気取った。けれど動機はやはり実生活で生まれた摩擦熱を、言葉にして冷まし、外界へ排出するという、すべては脳内の代謝を促すための生理的習慣であることに変わりはない。つまり僕のこれまでのツイートなど全て生活の排泄物で、少々その形にこだわるようになったという話。そんなごく普通な人間的循環を行うために、ツイッターはとても便利だったという話だ。ちなみにこの世の表現・アートなんかは、作者が平等な世界をわざわざ消化分解し、不平等に再構築した名誉ある排泄物だと、僕は思っている。


それでもツイッターのおかげで僕の生理的欲求は正式に承認欲求へと進化していた。だからいいねは心底嬉しかった。実生活で僕を知る人から何を褒められるより、いいねは信頼できる賞賛だった。この先、承認欲求が表現欲求に変化しそうだった。


そんな中、僕は呑気に引っ越しをしていた。その結果僕はツイッターを辞めそうになっていた。辞めるというより離れる。一日の中からツイッターが消える。けれど不幸になったわけでも、幸福になったわけでもない。ただ忙しくなった。


もちろんこの転居のための日々でも、実生活における摩擦は生じていた。僕は風が吹いたって擦れてしまうのだ。ただそれを言葉にするという冷却行動に脳が追いつかなくなった。その代わりひどいくらい眠るようになった。多少の変化による刺激と疲労を、直接睡眠で消し去ることが精一杯だったのだ。

そんな日々によって排泄されたものは、まさに排泄物でしかなく簡単に水に流せる。途方もなく生活。


表現欲求なんて生活の前では無力だった。簡単に忙殺された言葉遊びに、自分が天性の詩人でないことを知らされた。感受性の網は生活習慣の濁流に破れ、何の取捨選択もできず、その喉越しだけを感じていた。

けれどこの生活を送っている間、僕は確かにこの社会に適応していた。もし、これまで社会はこういった生き方を基準に回っていたのだとしたら、これまでの摩擦も少しは納得できた。けれどそれと同時に、自分の軸と社会の軸のズレは、「人と違う生き方をしたい」という若い熱を通り越していることを知らされた。あえて特異な存在になろうと憧れていたはずが、もうすでに戻れなくなっている。例えば晴れの日に、みなが晴れを歓迎する中、1人だけ天邪鬼に雨を望んだとして、本当に雨が降ってきた時、天邪鬼はその雨を歓迎できない。僕は生活者でも表現者でもない。中間にいる天邪鬼。打たれるほど出られなかった杭だ。せいぜい流れてきたゴミを引っ掛けるだけの半端な杭だ。


といったことが、この引っ越しとツイッターの忘却により判明した。ずいぶん話は逸れたけれど、そもそも僕の話が予想通り着地したことはないし、予想をつけて話を始めたことはない。

そしておそらくこの駄文はツイッターに放流される。もし、形にもこだわれなくなった僕のこの文を最後まで読んでしまった人がいるならば、大変申し訳ない。けれどツイッターという共同便所にいる限り、これもまた避けられない可能性であるから、僕はそれほど謝る気もない。