Sさんのスイカ






大学では農学部だった。今でもよく「文系でしょ」と言われることが多いが、実際自分でもそう思う。自分はどう足掻いても文系の脳みそだと自覚したのは、入学して三年が経った頃だった。思えば計算を有する講義は頭痛がしたし、白衣を着た実験は苦痛そのもので、結局白衣は見知らぬ、金の無さそうな新入生に安値で売りつけた。その上、久しぶりに顔を合わせた両親に「僕は文系かもしれない」と打ち明けると、二人は「そりゃそうでしょ。私たちは日本語学のゼミで知り合ったんだから」と大袈裟に笑っていた。


けれど農学部の中では、いかにも理系というような学科にいたわけでない。講義の半分はフィールドワークだったし、研究室では1人ずつに小さい畑が振り分けられ、好きなものを育てていいという、素朴ながら画期的なものだった。しかしその頃にはすでに、自分は生き物の管理が壊滅的に苦手なことをわかっていたし、実際最後まで僕の畑には何の色もなかった。


春頃、他のみんながイノシシ避けの柵をつける中、「僕の畑にはいりません」と教授に言い、真面目にスイカを作っていたSさんに「実がなったら僕にもスイカをくれ」と条件付きで僕の柵をすべてあげ、二重にするのを手伝った。結局Sさんのスイカは、無惨にも鳥に穿り返され、実を食べることは叶わなかったけれど、夏の終わり、Sさんは僕にスイカバーを買ってくれた。

Sさんの畑を眺めながら、2人でスイカバーを食べた。Sさんは夏の間、長崎の実家に帰り、花火大会に行ったり、父の墓参りに行ったことを話してくれ、僕はお返しに大阪の繁華街でフィリピン人の喧嘩を見た話をした。

「店の前でさ、フィリピンの女の人同士がカタコトの日本語で喧嘩してたんだ。いつ母国語が出るか楽しみに見てたけど、最後まで日本語だったよ」

僕がそう言い終えると、Sさんは暑いにも関わらず、覚えたての愛想笑いをしてくれた。僕も悲しい話をすればよかったかと後悔したのを覚えている。


イカバーの棒を歯で半分に折り終わった時、Sさんの畑に二羽のカラスが来た。「あ」とだけSさんは声を出した。僕はすぐに立ち上がって「おーい!」と声をしたが、カラスは何食わぬ顔だった。僕はすぐに石を探した。スピードが出そうな石を拾った時「いいよ、別に」とSさんは言った。僕は手に取った石を下投げで他所へ飛ばし、再びSさんの横にしゃがみ込んだ。Sさんの顔は見れなかったし、僕はSさんのお父さんにまで謝りたくなった。


Sさんはバイトがあると帰っていった。僕はしばらく畑に残っていたが、くるぶしを蚊に刺されたので帰ることにした。夏になれば思い出すというより、スイカを見ると思い出す。思い出すようにしている。